武田信玄の甲冑にも使われた甲州印伝で、現代にライフスタイルに合わせた提案をしています。
今回は、甲州印伝についてご紹介します。
印傳(印伝)とは
印傳革の略であり、羊や鹿の皮をなめした物をいいいます。漆や型紙を用いて文様を現した染革の一種。
なめした革に染色を施し漆で模様を描いたもので、袋物などに用いられています。。16世紀中ごろにインド(印度)から伝来したことから、印伝といいます。
印伝の足袋が正倉院宝庫内に見られ、東大寺に文箱が奈良時代の作品として残っているのです。
甲州印傳は、印傳の中でも鹿革に漆をつけて加工した、山梨県の伝統工芸品です。
印傳の歴史
印傳が歴史に始めて登場するのは、今から1500年前。
日本書紀に、仁賢天皇六年(西暦493)に高麗の革工によりもたされたと、記載されています。
西暦900年代に入ると、武士が甲胄に使用するようになり、甲冑の模様(文様)も小桜、しょうぶ、菱など種類も多くなりました。応仁の乱(1467年)以後、乱世を反映して武を事としたので革工は大いに栄えていきました。
甲州印伝の特徴の一つである鹿革は、体になじみ、強度を備えていることから武具にも盛んに使われており、戦国時代には、燻(ふすべ)や更紗(さらさ)技法を用いた鎧や兜が武将たちの 勇士を飾ってきました。
武田家との関わり
大永元年(1521年)に武田信玄が誕生し、甲州での印傳の歴史が始まりました。
信玄袋と呼ばれる袋物は、当時の甲冑すっぽり入る大きさで、鹿革の丈夫さが重宝がられました。
普段使いへ
1867年大政奉還となり、諸大名は競ってくら馬を飾り革ばかまや革足袋をもちい、武士も町民も好んで巾着を持つようになりました。
その後、太平洋戦争時代には鹿革はその通気性を利用して、航空燃料の濾過(ろか)に用いられました。
明治期になると、信玄袋や巾着袋等が内国勧業博覧会において褒章を得るなど、山梨の特産品 としての各個たる地位を築きました。
また、大正期にはハンドバック等も製作され製品も多様化し、現在に至っています。
1987年、甲州印伝は経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定され、
印伝の伝統技は、生活を彩る実用美として、稀少な日本の革工芸の文化を伝える担い手となっています。
印傳が新しく進化
そんな伝統技術を、クリエティブ集団「丸若屋」が、
艶やかな漆が美しい、iPhoneカバーをデザイン。
また、チームラボとのコラボレーションムービーが、印傳の世界をアートにまで連れて行きます。
「Animation for the release of MARUWAKAYA “Inden iPhone Cover”」
伝統技術が現代をどう豊かにするか。
伝統工芸は残すものではない、と考えています。
そうではなく、継承されてきた技術を今、どのようにライフスタイルを豊かにするのか。
1500年以上の伝統を持つ印傳の技術。
その技術を使いながら、今の時代感を合わせ私達に届ける「甲州印傳」 の、
手にしっとりと馴染む質感とともに、暮らしてみるのはいかがでしょうか。
■印傳屋
http://www.inden-ya.co.jp/lite/index.html
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