小舟で東京を移動する日も近い?東京日本橋のまちづくり


小舟で東京を移動する日も近い?東京日本橋のまちづくり粋な江戸商人の町、東京は日本橋。
100万人都市江戸の商業の中心地として、日本の交通の起点として古くから栄えてきた町です。

そんな日本橋を、江戸時代から見守り続けているまちのシンボル「日本橋」は、現在、首都高速道路の下に埋もれています。
太陽の光を浴びることはおろか、訪れる人の目に留まることすら危うい、というような状況になってしまっているのです。

2011年、現在の石造りの橋が架橋されてからちょうど100周年を迎えた日本橋。
現在「日本橋」がある景観と、往時のまちの活況を、再び取り戻そうとする巨大プロジェクトが動いています。

日本橋とは、東京都中央区を流れる日本橋川にかかる、橋のこと。
1603年の江戸時代開幕と同時に整備された五街道の起点として、架橋されました。
今でも、日本の国道の起点として、「道路元標」が置かれています。

明治44年(1911年)には、現在まで残る、その装飾が美しい石造りの姿に架け替えられました。

しかしながら、昭和38年(1963年)、橋の直上に首都高速道路が新たに架けられてしまいます。

1964年の東京オリンピックに向け、都内で急ピッチで建設が進められていた首都高速道路。
狭い東京という土地的空間的制約、オリンピック開催までの期限という時間的制約、そして厳しい予算の制約の中で、
重厚な歴史的建造物である日本橋のあるまちの景観が奪われました。

 

急浮上した日本橋再生計画

高速道路が完成した当時から、「景観を損ねる」などの声が多々あった「日本橋景観問題」。

2005年に小泉純一郎元首相が、「首都高が景観を損ねている」「日本橋を世界で最も魅力ある場所にして欲しい」と発言したことで、
一旦は議論の俎上に上がりはしたものの、なかなか具体的な施策としては、着手されてきませんでした。

しかし、2012年9月19日、国土交通省の有識者会議が、「都心環状線の高架橋を撤去し、地下化などを含めた再生を目指す」とする提言書をまとめ、羽田雄一郎国土交通相に手渡しました。
単純に首都高の老朽化が進んだことによる建て替えの必要性、さらに首都圏直下型地震に耐えられるような道の必要性があるとし、高架橋の撤去を提言したのです。(2012年10月15日現在)

日本橋の上に架かる高架橋も、建て替えの対象になっており、ここに、再び日本橋の景観を取り戻す動きが急浮上しました。

高架を撤去するのに1キロ当たり50億~160億円、地下化すればさらに390億~680億円はかかると言われる予算の問題があり、
そう簡単に着手とはいかないでしょうが、老朽化による建て替えや耐震強化は必須。
安全面で考えても現在の状態は、地震が起きたときに一部でも崩れた首都高はすべてが機能しなくなるという意見も。
2020年の東京五輪の開催をきっかけに、地下化の動きは進みそうです。

かつての日本橋の姿を知らない、今の50歳以下の人も、陽の光を浴びる日本橋を見ることができる日が近づいていることは間違いなさそうです。


昭和8年(1933年)の日本橋


安藤広重「日本橋」

 

温故知新〜活力溢れる日本橋エリア

五街道の起点として江戸時代より栄えてきた日本橋は、自然と日本中のひとや名産品が集まるまち。
古くから商店が立ち並ぶ一大商業地でした。

今、このかつてのまちの活況を偲ばせる、新たなまちづくりが進められているのをご存知でしょうか。

「残しながら、蘇らせながら、創っていく。」というまちづくりのコンセプトをもとに、大規模なまちづくりの計画が官庁や大手デベロッパー、および地元の老舗企業で推進されていて、その計画は、江戸時代の日本橋界隈の風情の復活を強く意識したものとなっています。

例えば、2010年10月28日にオープンした三井不動産の商業ビル「COREDO室町」には、新しい「和」を感じさせる特徴的かつ魅力的なテナントが入っていて、訪れる人々を魅了しています。
日本の中心(CORE)、江戸日本橋(EDO)、という「COREDO」の名前の由来や、「日本を賑わす、日本橋」というコンセプトからも、日本橋の地を、商いや文化の情報発信地として再生させようという想いが伝わってきます。

日本橋エリアは、「日本橋の再生」による景観の保全だけではなく、包括的なまちづくりを通して、江戸の粋な風情と新しさが融合した、活気あふれる街になろうとしているのです。


COREDO日本橋

 

東京の新たな楽しみ方〜水路を観光資源に

日本橋は、道路交通の中心地のみならず、江戸の「舟運」の中心地でもありました。
江戸時代には河岸があり、数百と言われる数の魚河岸が軒を連ね、日本中のさまざまな地から荷を積んだ舟がひっきりなしに入ってきていた日本橋。
いまでは、魚市場と言えば築地ですが、関東大震災が起こるまでは、日本橋にありました。

その江戸時代より残る水路を活かした舟運ネットワークを、現代にも復活させようという動きがあります。

東京都中央区は区全域の面積に対し、水域の比率が18.3%を占める、水のまち。
この水辺空間を有効活用するために、2011年に日本橋橋詰に船着場を設置。周辺の台東区、江東区、墨田区と連携し、”舟運都市・江戸”の姿を現代に蘇らせる取り組みを進めています。
ゆくゆくは、日本橋を中心に、空の玄関羽田空港と、新名所東京スカイツリーを舟で結ぶことも検討しているといいます。

銀座や、お台場などの湾岸エリア、さらには川で繋がっている浅草や秋葉原などの、東京の魅力あるまちが舟でつながり、水の上から東京を楽しめれば、外国人観光客にとっても魅力的ですね。

小さな舟に乗り、復活した日本橋をくぐり、東京を移動する日も、そう遠くないかも知れません。


日本橋に作られた船着場
首都高高架の影になってしまっています。

 

まとめ

急浮上した日本橋再生計画や、江戸の風情を残すまちづくり、さらには元々ある水路を活かした新たなライフスタイルの提供と、今、東京日本橋から目が離せません。

美しい景観は、住む人の心を豊かにし、訪れた人の記憶に残る、まちの大切な要素。

歴史的なまちのシンボル「日本橋」を取り戻し、東京の中心地として、復活を遂げる日が待ち遠しいですね。

 

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