八丁味噌は、豆のみを「二夏二冬」かけてゆっくり発酵させて作る赤味噌。
同じ赤味噌系でも特に愛知県岡崎市で作られた味噌は、八丁味噌と言います。
今回は、「八丁」味噌の歴史を紐解きます。
赤味噌と八丁味噌は違うの?
赤味噌の中の八丁味噌という分類です。
愛知県岡崎市で作られた赤味噌が、「八丁味噌」です。
京都や北海道、信州の白味噌と区別し、赤味噌と呼んでいます。
赤味噌は白味噌と比べ、熟成期間が長いため、色が濃くなるんです。
赤味噌というと、仙台や、新潟、そして岡崎が有名ですね 。
ちなみに、「赤だし」というと、赤味噌で作られたお味噌汁のこと、
もしくは、赤だし用に、赤味噌に鰹などの出汁の素を練り込んだものを指します。
岡崎城から数えて八丁先
あの徳川家康が生まれた城で知られる、岡崎城。
戦国時代、安土桃山時代は徳川家の持ち城で、江戸時代からは岡崎藩の藩庁が置かれていました。
その岡崎城から西に八丁(約870m)のところに、その名も八丁村という村があり、 そこで、味噌作りが行われていました。
だから、「八丁」味噌というんですね。
城下町ではお城を中心に町が作られたため、このような由来を持つ町村名が、 今でも全国に残っています。
現在岡崎の八丁村は、岡崎市八帖町(はっちょうちょう)。
歴史を感じる地名ですね。
600年以上の超ロングセラー商品
八丁町の中心を走る旧東海道を挟むようにして、 「カクキュー」そして「まるや八丁味噌」のたった二軒の老舗味噌蔵が、
向かい合うようにして今まで醸造に勤しんでいます。
まるや八丁味噌は創業1334年。
カクキューは創業1645年。
長い歴史に驚かされます。
参勤交代とお伊勢参りで広く知名度拡大
八丁味噌が全国に広まったのは、江戸時代に入ってからのようです。
首都・江戸と西日本を繋ぐ幹線道路、旧東海道に面していることが、最大の強みでした。
全国の支配階級である大名が行列を成して歩いた「参勤交代」。
江戸に住む町民・農民階級に人気を博した娯楽「お伊勢参り」。
江戸時代の岡崎は大きな宿場町でもありました。
大名から町民までが、岡崎宿で一夜の宿を借り、八丁味噌を味わったことでしょう。
江戸は日本橋に設けられていた全国の名産品売捌所でも売られていた記録が残っているそうです。
まとめ
岡崎城のお膝元に生まれ、江戸時代にはその名を全国に轟かせた八丁味噌。
北海道の白味噌や信州味噌とはひと味違う独特の風味と苦味が、料理を引き立てます。
何よりもたった二軒の味噌蔵が、その味と独特の醸造技術を頑なに守り、
今でも日本三大味噌に数えられる存在感を保っていることは、特筆に値します。
「八丁味噌協同組合HP」
http://www.hatcho.jp/