海の無い土地で、寒天製造日本一の秘密とは?長野諏訪地方の伊那寒天


海の無い土地で、寒天製造日本一の秘密とは?長野諏訪地方の伊那寒天日本の各地方にある名産品や特産品は、それが生み出される地域の、気候や地理環境などの風土を活かしたもの。

そんな独自の風土から生まれた名産として、長野県は諏訪地方では、寒天があります。

長野県諏訪地方は寒天製造で日本一の地域。
普段何気なく食す寒天、実は海で取れる海藻から作られていることをご存知でしょうか?

無色透明で一見するとあまり栄養がないように見えますが、実は食物繊維など豊富な栄養があるだけでなくガンなどを予防する働きもあるそうです。

そんな人の体にやさしい寒天、少しも海に面していない長野県で、なぜ寒天作りが盛んなのでしょうか。その理由は長野県の風土にありました。


長野県の諏訪地方は、縦に長い長野県の中心部の地域です。
諏訪湖や、諏訪大社があることで知られています。

なぜ、山に囲まれた長野県で、海藻から作られる寒天作りが盛んなのでしょうか。まずは、寒天作りの歴史・起源からみて行きましょう。

偶然の発見!寒天のはじまり

寒天の歴史は、江戸時代初期にまで遡ります。

貞享2年(1685年)、季節は、寒い冬の時期でした。
島津氏率いる薩摩藩の一行が参勤交代の道すがら、京都の伏見に陣をとった際、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門はその頃京都で作られていたトコロテンで島津氏をもてなしました。

その際の食べ残しのトコロテンを戸外に出しておいたところ、
寒さのせいで凍結した後に乾燥した、乾いたトコロテンを発見しました。

この「フリーズドライ」のトコロテンをもう一度水で戻し、再びトコロテンを作ったところ、元のものよりも見た目美しく、海藻臭さが無い美味しいものが出来ました。
美濃屋の主人は、フリーズドライのトコロテンを、黄檗山萬福寺を開創した「隠元禅師」に試食してもらったところ、質素な精進料理の食材として活用できると奨励されたそうです。

その際に、名前を尋ねられましたが、まだ決めていなかったため、作られた旨を伝えると、隠元禅師は「寒天」と命名しました。
「寒」空に放置して作るところ「てん」から、命名したといいます。

 

行商人のひらめき

時代は進み、江戸時代末期の天保年間(1830年〜1843年)。

全国を旅する信州の行商人、小林粂左衛門は京都の寒天を見て、
故郷信州の寒さに、寒天作りが適しているのではないか、と考え、さっそく諏訪地方に広めました。

 

寒天作りは、諏訪地方の農家の農閑期の副業として広まりました。
原料となるテングサは伊豆から大量に買い付けていたそうです。
寒天製造は次第に諏訪地方の名産品として定着するようになります。

寒天の製造は、乾燥したテングサを綺麗な水で煮て、木箱に入れて固め、戸外に並べ、1週間〜2週間の間、凍結・乾燥を繰り返します。
夜間の凍結による寒天質と水分の分離、日中の気温の上昇による水分の融解と蒸発、これを繰り返すという仕組みです。

諏訪地方は、
・八ヶ岳山麓に位置することによる、恵まれた美しい水と空気。
・冬は日中でも氷点下から5度、夜間は氷点下10度以下になることも珍しくない、気温。
・北アルプス等に囲まれた内陸部であるため、雪はそれほど降らず、乾燥した気候。

このような風土的特徴は、まさに寒天作りには最適なもの。
その他、諏訪地方には強風がほとんど吹かないことも、日干しが必要な寒天製造には適していると言えます。

行商人、小林粂左衛門の予想は、正しく的中したのです。

 

まとめ

寒く、乾燥した長野県諏訪地方の風土の特徴が生み出した寒天。

全国の棒寒天は、そのほとんどが諏訪市や茅野市、伊那市などの諏訪地方で作られています。
また、もう1つの寒天の形、糸寒天も、そのほとんどが、やはり内陸の寒い地域、岐阜県恵那市で作られています。

寒天の原料が海藻のテングサだからといって、必ずしも海の近くで作られるというわけではなく、寒天の製造に最適な風土も持つ土地で、製造されているのです。