冠婚葬祭で使うのし袋に、欠かせない美しい「水引」。
この水引を、伝統産業として、江戸時代より約400年間もの間、作り続けているまちがあります。
長野県飯田市。
人が「おめでとう」「ありがとう」と、贈り物に込める想いを支えてきた飯田の水引産業は、どのような歴史を持つのでしょうか。
水引(みずひき)とは、贈答品や封筒に付けられる飾り紐のこと。結婚式等のお祝いごとでは必ず目にしますね。
和紙を、こより状にし、糊をひき、乾かして固め、さらに金銀の薄紙を巻いたり、細い繊維を巻きつけて紐を作ります。
その紐を数本に束ねて、綺麗に結び目を作って、水引は完成します。
紐を色水に浸けては引き出し、浸けては引き出し着色することが、「水引」と呼ばれる所以です。
飯田市はもともと和紙の名産地
飯田市は、もともと丈夫で上質な「和紙」の生産地でした。
その歴史は、少なくとも1000年以上。平安時代までさかのぼります。
平安時代につくられた『延喜式』という書物に「伊奈郡より草紙献上」と記録されていることから、1000年以上も前から飯田市で和紙が作られていたことが分かりました。
年貢米の代わりに、和紙を納めることが許されるほど、生産が盛んになった江戸時代、飯田は、和紙を使った「元結(もとゆい)」の製造で全国的に名を轟かせます。
元結とは、髪の毛を束ね、「まげ」を作るのに使われる、和紙でできた紐のこと。
飯田和紙に付加価値をつけるため、下級武士や町人・農民に、元結の製造法を習わせたのが始まりと言われています。
丈夫な飯田の和紙で作られた、元結は、水にも強いその丈夫さから、全国的に人気がありました。
現在でも、大相撲力士のまげは、飯田の元結が使われています。
髪を結ぶための元結(もとゆい)
転機は、生活様式の「西洋化」
元結とほとんど同じ製法で作られる水引は、そのころは、副業に過ぎませんでした。
しかし、明治時代に入ると、「断髪令」により、まげが禁止され、元結は江戸時代ほどの需要がありませんでした。
そこで、元結製造で培った伝統技術を、水引の製造に応用し、水引が盛んに作られることとなり、上流階級を中心に、飯田の水引が使われるようになりました。
昭和時代になると、水引の結び方もさまざまなものが開発され、金封や結納品、水引細工の生産が増え、現在飯田市では、全国の70%の水引を生産する、一大生産地となりました。
日本の伝統文化が海外へ
平成10年(1998年)に開催された長野オリンピック・パラリンピックでは、オリンピック参加者の記念品として、またパラリンピックのメダリスト用の月桂冠にそれぞれ使われたことで、飯田の美しい水引の存在が、全世界へと知れ渡りました。
その後、飯田の水引産業は、地域の伝統的な技術や素材などを活かして世界に通用する新たなブランドを創る各地の取組みを支援する、中小企業庁の「JAPANブランド」に認定され、これまでに、ロサンゼルスやパリなどで、展覧会を行なっています。
海外のかたは、その美しい見た目はもちろんのこと、和紙から作る、伝統的な職人の技術に目を奪われていたとのこと。
今では、アメリカ合衆国をはじめ、積極的に海外市場に、水引、水引文化が進出しています。
まとめ
丈夫な和紙の生産に、付加価値をつけるために始まった飯田の水引産業。
今では、全国の70%の水引を生産し、海外にもJAPANブランドとして積極的に売り出す、日本が誇る伝統産業です。
日本の伝統技術が、そして、水引を使い贈り物やお祝いごとに気持ちを込める、
日本の美しい文化・風習が海外に広まっています。
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